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ありがとうございました。
第7回 新生太陽迎日祭・収穫祭
日にち 12月20日
場所 浜離宮 朝日ホール
出演予定 神谷成章さん 大下伸悦さん
詳細は決まり次第 お知らせします。
主催 新日本文芸協会・グリーンオーナークラブ
ありがとうございました。
第6回 新生太陽迎日祭
新たな時代到来を共に感じ、太陽の始まりの日に集い、心を新たに生まれ変わる一日。
ご遷宮中の伊勢神宮には、
国書・古事記の編纂者、太安万侶、稗田阿礼、
そして日本書紀編纂者、舎人親王の直筆の伝統文字による奉納文が、
いまなお残されていることをご存じでしょうか。
これらは、約1450年前の物部大連尾輿自身の奉納文、
藤原の鎌足・藤原の不比等・源頼朝・源義経らのものとあわせ99葉保管されています。
ヤマトタケル物語、奏でられる音楽と共に、
このすばらしき日本の真実にも触れて頂きたく第6回目の開催年のご挨拶とさせていただきます。
新日本文芸協会 新生太陽迎日祭2014実行委員会
新刊紹介
お待たせしました! 会長・大下伸悦の最新刊、HPでもご案内開始です。
お求めは、新日本文芸協会Ωネットショップへ こちら
申込みが重なり、一時的に、サーバーエラーで、接続できないということもあったようです。そのような場合には、時間をずらして再度アクセスお願いいたします。
第62回式年遷宮奉祝祭 VTR公開しました(10/16)
大変お待たせしました。6月8日開催ダイジェスト映像です。
主催 新日本文芸協会
共催 伊勢神宮奉納文神代文字保存会
私たちはこの地球上で
「日本人にしか果たせない使命がある」
ということに、みな気付き始めている
大下伸悦
ENNより、ダイジェストDVDが発売開始となりました。
2013年10月号の特集として編集されています。
詳細はこちらから→ダイジェストDVD
トピック
- 2014-4-2 new! 新刊『言霊百神』刊行のご紹介
- 2013-10-16 第62回式年遷宮奉祝祭ダイジェストDVD刊行
- 2013-6-8 伊勢神宮の神代文字による奉納文 伝承・保存活動書籍刊行
- 2013-6-8 第62回式年遷宮奉祝祭を伊勢にて開催
- 2012-11-27 売太神社古事記輪読会 多神社 於
- 2012-10-31 売太神社古事記輪読会ツアー倭建命終焉の地 長瀬神社~熱田神宮
- 2012-8-23和暦0823・太安万侶卿のお墓詣りレポート
- 2012-8-19 稗田阿礼・阿礼祭 ミスマル奉納
- 2012-8-11 旧暦命日・太安万侶卿のお墓詣り
- 2012-6-26 記念祭 京都0825・開催概要アップしました
- 2012-6- 1 「緊急支援!太安萬侶卿の記念陵建設応援のご案内」を掲示しました
- 2012-6- 1 「伊勢神宮奉納文神代文字保存委員会」登録の受付を開始しました
- 2012-5-28 書籍紹介「古事記」関連本を掲載しました
- 2012-5-28 関連行事ページを更新しました
待望の書籍 第1弾刊行
「すばらしきかな日本」
―伊勢神宮の神域に遺された「知られざる神宝」― (物部尾輿編)
●一部抜粋紹介
尾輿による伊勢神宮への奉納文には、「おほくにぬしのおおかみ」「すせりひめのみこと」とある。漢字を充てれば「大国主の大神」と「須勢理毘売の命」。
3行目は奉納者の名前、「ものへ/おうむらし/おこし」、物部/大連/尾輿ご本人である。
(ご本人は「もののべ」とは書いていない。「ものべ」)といっている)
千四、五百年前当時の「おおくにぬしのおおかみ」のご威光いかばかりか、ということがよくわかる。
なお、「すせりひめ」とは「スサノオのみこと」の姫神にして、大国主の后である・・・。
この国の祭祀の最高位にあった尾輿は、伊勢の「あまてらすおおみかみ」の神域に、出雲系の神への祈りを捧げたのである
著 者 : 大下 伸悦(おおした しんえつ)
単行本 : 32ページ
出版社 : 新日本文芸協会 A5版
企画制作 : えばぁプロデュース
発売日 : 2013/06/08
お求めは、新日本文芸協会グループネットショップからいただけます。
書籍購入申し込み受け付け
第62回式年遷宮奉祝祭 in 伊勢 2013年6月8日
第62回式年遷宮奉祝祭の開催詳細はこちら
2012年12月21日・冬至 奈良 やまとごころ復活祭
ご参加、ご支援、ありがとうございました!
【2012年12月21日・冬至 奈良県やまと郡山城ホール於】
開催概要はこちら
売太神社古事記輪読会ツアー レポート(事務局・諸野)
売太神社さんの輪読会を主催されているオペラ歌手
鈴木先生のご提案で、10月10日10時10分に
倭建命終焉の地で、古事記の輪読、歌の奉納をしました。
鈴木先生が初めて長瀬神社にご縁を持たれたのが、
平成10年10月10日。長瀬神社からのご依頼で
倭建命の語り部、歌、を奉納されたことが始まりでした。
・・・続きはこちら
古事記編纂1300年記念祭 8月25日京都・護王神社 開催
0825記念祭、ありがとうございました!
大下伸悦の記念講演
浦安の舞奉納 根本佳代子
奉納文朗詠(伊勢神宮奉納文神代文字保存委員 左より松下エミ、栗永裕美、藤岡裕美)
写真左 ANJINさんと参加者全員で言霊奏上「天晴れの唄」
8月23日(太安万侶卿・和暦命日)多神社にて
8月23日は旧暦の7月6日、太安万侶卿の命日あたります。
7月6日の記念碑建立の式典参加に続き、神代文字保存委員会の仲間の皆さんと多神社を訪れました。
笑顔でお迎えいただいた多宮司様はお忙しい中にもかかわらず長時間にわたり時間をさいてくださり、安万呂卿にまつわるお話から今の閉塞した時代をどうしていくことが大切かとのことなど様々なことについてお話をお聞かせいただきました。・・・つづきを読む
稗田阿礼・阿礼祭 8.16 ミスマル奉納
第83回阿礼祭が16日、古事記編纂に尽力された稗田阿礼さんをまつる
賣太神社でありました。
今年は古事記編纂から1300年を記念し、古事記をテーマに公演する
市民劇団による楽曲の奉納も行われました。
阿礼祭は昭和5年8月16日以降、「古事記を伝えた稗田阿礼を『お話の神様』
として顕彰しよう」と全国童話連盟の人たちによって開催され、
45年の終戦翌日も開かれており、一度も途切れることなく続いています。
当日は、巫女舞=稗田舞の奉納の後、地元小学校の子供たち約50人が
「阿礼さま音頭」に合わせて踊りを披露しました。
神代文字保存委員の松下エミさんによるミスマルの奉納もされました。
奉納後、多くの方がミスマルに関心を持たれたようで、・・・つづきを読む
太安万侶卿のお墓詣り
2012年7月6日の様子
【写真左】大下伸悦と太安万侶記念碑 【写真右】松下エミさん、ミスマル奉納
8月23日は旧暦の7月6日、太安万侶卿の命日にあたります。
先の7月6日は太安万侶卿記念碑が完成し式典がありました。
納骨のご挨拶に、あらためて8月23日にお参りしました。
特別映像「古事記編纂者・太安万侶さんを語る 大下伸悦」
以下、式典に参加した会長・大下伸悦のレポートです。
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■祝古事記編纂1300年記念:太の安万侶卿のお骨、故郷に還る■
7月6日は太安麻呂卿のご命日でした。
安万侶卿をご祭神とする小杜(こもり)神社/多(おお)神社は奈良県の田原本町(最寄:近鉄笠縫駅)にあります。
多神社は平安時代の「延喜式」にも載っている大和屈指の大社です。この神社の「多(おお)宮司」は安万侶卿の子孫ですが、昨年、その宮司の元に「安万侶卿のお骨」が帰ってまいりました。
そこで、古事記編纂1300年の記念年と、安万侶卿のご命日とを合わせ、お骨を納めたお墓を兼ねて1300年記念碑を建立することになりました。
そして、日程的にはかなり無理がありましたが、ご命日の7月6日、見事な御影石のお墓(記念碑)が建立されました。みなさま、おめでとうございます。そして、ありがとうございます。
除幕式は午前10時から行われ、
古事記編纂1300年委員会関係者(5名)も列席させていただきました。
お骨は、卿の没後1290年ぶりの里帰りとなりました。
- ・・・続きを読む
安万侶卿が古事記を上奏なさったのは、ちょうど1300年前のことです。節目の年の節目の日によくぞお骨がおさめられたものと思います。感無量です。
ここ、安万侶卿が祀られている神社は、神武天皇の時代に遡る由緒を持つ「多(おお)」神社であり、その神域の飛び地(100m)に、特に安万侶卿を祀る「小杜神社」が独立しています。
多の地区は、大和の笠縫(近鉄線)駅から徒歩20分程度のところで
「環濠集落(300m×350m)」になっています。
ここを「多(おお)の環濠集落」といいます。ご存知でしたでしょう
か。「多神社」は日本でも最古の神社の一つなのですが、それもそのはず、神武天皇、その三男の神八井耳命(カム:ヤイミミ)、四男の神沼河耳命(第2代天皇カム:ヌナカワミミ)、それと姫御神(おそらくこの2神の母神)、そして、子孫の安麻呂命が祀られているのです。
ここの神社の構造は独特のつくりで4連の構造になっています。
この配置を四殿配祀(よんでんはいし)といいます。神社の長辺方向に沿って、神武の即位ゆかりの「飛鳥川」の流れがあります。
・・・中略・・・
このたびは、命日の7月6日に卿のお骨が戻るべきところに戻り、古事記編纂1300年の記念の年に墓碑の下に安置されたのです。私も、その記念の日に幸運にも立ちあわせて戴きました。ありがたいことです。
安万侶卿のお墓は、33年前に平群の奥の山(この瀬という地区)の茶畑から偶然発掘されたのでした。
茶畑からお墓が発見されたのは決して偶然ではないでしょう。
安万侶卿の遺体は火葬に伏されました。
内部には炭がびっしり敷かれてあったのです。銅板製の墓碑には没年月日まで克明に記録されてあります。
このお墓が発見されるまでは、「太安万侶は実在の人物ではない」、
「古事記は偽書である」という話が横行していました。「日本の貴重な歴史を抹殺しようという勢力がいる」ということもよく耳にします。まことにご苦労様なことですが、どうぞ、よその国の芝生を見て嫉妬していないで自分自身の心模様を見直されたらいいと思います。
さて、此瀬(このせ)の地のお茶畑のなかのお墓も現在はきれいに整備されております、が、火葬されたそのお墓の中から出てきた「お骨」の一部が昨年、どういうわけか子孫の神官の元に戻ってきたのです。
古事記編纂1300年の今年(2012年)に合わせるかのように戻ってきたのです。
命日の7月6日に合わせるかのように戻ってきたのです。策略と我欲の世界が終焉し、利他共生の真善美の世界へと天の岩戸が開くこの時に合わせたかのように、私たちの心模様は「愛と調和」の世界へと里帰りしてきたのです。
安万侶卿の「お墓(古事記編纂1300年記念碑)」は、多(おお)宮司
の執念で復活しました。
日本国民としておおいに喜び合いましょう。私たち「古事記編纂1300年記念:神代文字奉納文保存委員会」も
建設費の一部を負担させていただきました。
皆様のお持ち寄りのおかげさまです。ありがとうございました。次回は「伊勢神宮に安麻呂卿が奉納された奉納文」を
委員会からとして多神社に奉納いたします。
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太安万侶、稗田阿礼の縁の神社にて
太安万侶縁の多神社(おおじんじゃ)の宮司さんと稗田阿礼縁の賣太神社(めたじんじゃ)の宮司様の奥様とお話ができました。
太安万侶縁の多神社(おおじんじゃ)【写真左】、
稗田阿礼縁の賣太神社(めたじんじゃ)【写真右】へ行き、貴重なお話をうかがってきました。
(大下伸悦先生と行く石上神宮詣編於)