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伊勢神宮

鎮座地

三重県伊勢市宇治館町1 (内宮 - 皇大神宮)
三重県伊勢市豊川町279 (外宮 - 豊受大神宮)

御祭神

天照大御神 (内宮 - 皇大神宮)/豊受大御神 (外宮 - 豊受大神宮)

起源

『日本書紀』垂仁天皇25年3月の条に、「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、更に還りて近江国に入りて、東の美濃を廻りて、伊勢国に至る。」
とあり、皇女倭姫命が天照大御神を鎮座する地を求め旅をしたと記されている。内宮起源説話である。この話は崇神天皇6年(紀元前92年)の条から続いており、『古事記』には崇神天皇記と垂仁天皇記の分注に伊勢大神の宮を祀ったとのみ記されている。移動中に一時的に鎮座された場所は元伊勢と呼ばれている。
なお、外宮は平安初期の『止由気神宮儀式帳』(とゆけじんぐうぎしきちょう)によれば、雄略r天皇22年(478年)7月に丹波国(後に丹後国として分割)の比沼真奈井原(まないはら)から、伊勢山田原へ遷座したことが起源であると伝える。

出典元(ウィキペディア)ここまで

神宮のお祭りと行事

以下、出典元:伊勢神宮パンフレットより

昭和四年度御遷宮絵巻「遷御」<高取稚成画>
昭和四年度御遷宮絵巻「遷御」<高取稚成画>

神宮では年間千数百回ものお祭りが行われています。第10代崇神天皇の御代までは皇居内で天皇御自身が直接、天照大御神をお祭りされていましたので、神宮のお祭りの本義は天皇が親しく大御神をお祭りされるところにあります。ご神徳を称え奉り、ご神恩に奉謝されるとともに、国家の隆昌と国民の幸福をお祈りされるのです。かつては斎内親王(いつきのひめみこ)が天皇に代わられて神宮にお仕えになっていましたが、現在では、祭主が天皇の御名代(ごみょうだい)としてお仕えになっておられます。
 神宮のお祭りは、恒例祭(こうれいさい)と臨時祭(りんじさい)に分けることができます。恒例祭とは、毎年定められた月日に行われるお祭りでその内、神嘗祭(かんなめさい)と6月・12月の月次祭(つきなみさい)は古来、三節祭(さんせつさい)といわれ、重要なお祭りです。また、これに祈年祭(きねんさい)と新嘗祭(にいなめさい)を加えて、五大祭と呼ぶこともあります。臨時祭とは、皇室・国家に重大事があったとき、臨時に行われるお祭りです。
 祈年祭、月次祭、神嘗祭、新嘗祭には、皇室より幣帛(へいはく)の奉納があり、月次祭を除くお祭りには勅使を遣わされます。特に神嘗祭は、年中で最大のお祭りであり、祭器(さいき)までも新しくし、大御神の更なるご神徳をいただくというところにこのお祭りの意義があります。20年に一度行われる「大神嘗祭」。それが式年遷宮です。

式年遷宮

20年に1度の大祭、神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)は、正殿(しょうでん)を始め御垣内(みかきうち)のお建物全てを新造し、さらに殿内の御装束(おしょうぞく)や神宝(しんぽう)を新調して、神儀(御神体)を新宮へお遷し申し上げる、我が国で最も重要なお祭りのひとつです。
神宮の古伝では神宮式年遷宮が制度化されましたのは、天武天皇の御代のこととされ、第1回の式年遷宮が内宮で行われましたのは、持統天皇4年(690年)のことです。
以来、戦国時代に中絶するという事態に見まわれながらも、1300年にわたって続けられ、平成5年秋には第61回の神宮式年遷宮が古式のままに行われました。掘立柱(ほったてばしら)に萱(かや)の屋根が特徴の神宮の建築様式は、唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)と呼ばれ、弥生時代にまで遡る高床式穀倉(たかゆかしきこくそう)の姿を今に伝えています。檜(ひ)の香も高いお建物が完成するまでには、ほぼ10年の歳月を要しますが、その間、御料木を伐り始めるに際してのお祭りを始め御造営の安全をお祈りするお祭りや旧神領民がこぞって参加する行事などが数多く行われます。
出典元:伊勢神宮・式年遷宮パンフレット
※画像をクリックすると拡大して見ることが出来ます。

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